霊聴・霊視・スピリチュアルカウンセラー『虹橋ひかる』のホームページです。
Facebook Twitter Gplus RSS
magnify

心眼を持つ訓練

2021年10月7日



皆様、こんにちはm(_ _)m

最近は、とても忙しくあるところでの修行や、お勤め、お役目(鑑定)をさせていただいておりました。ありがとうございますm(_ _)m
もう少しで帰路いたします。

今日は、ご相談内容にもある出来事を、お釈迦様のお話を踏まえながら、お話させていただけたらと思います。

ある日、若者が、ブッダ(お釈迦様)の前にやってきて、悪口を浴びせかけました。ところがブッダは黙って聞いておられます。
やがて若者が悪口を言い終わったとき、ブッダは静かに口を開かれました。
ブッダ「あなたは、人を招待して、もてなすことや、プレゼントをした事はありますか?」
若者「そりゃ、あるさ」
ブッダ「招待客がそのとき、あなたの出した食べ物を食べなかったり、またプレゼントをうけとらなかったりしたらどうなりますか?」
若者「食わなかった残りは、おれのものだし、プレゼントも俺の手元に残る」
ブッダ「私の前で悪口を言っても、私がそれを受けとらなければ、それは誰のものになるのかわかりますか?」
若者「なんだと? いくら受けとらないと言っても、 与えたんだから与えたんだ!」
ブッダ「そんなものは与えたとはいわない」
若者「じゃあ、どんなのを受けとったといい、どんなのを受けとらないというんだ?」
ブッダ「悪口を言われたら悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったという。その反対に、なんとも思わないものは、受けとっていないのだ」
若者「それじゃあなたは、いくら悪口を言われても、 腹は立たないのか?」
ブッダは、静かに答えられました。
ブッダ「智恵ある者に怒りなし。もし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、愚か者のしわざなり」

この世の中、インターネットでは、誹謗中傷が蔓延り、誰にでも成り代わる事が出来、また本人の顔すら出ず、発言の自由という曖昧な観点で、それを良しとする者が多いと思います。
その発言は、無責任で残酷なものもあり、時にそれは刃物になり人をも殺す事もありえるのです。

無知は、時に罪になるのです。
知らなかったから仕方ないでは、済まない事もあるのですね…

あなたは、自分の発言に責任を持っていますか?
近年、こう言った悪口をインターネットに書き込まれ自殺する方が増える中、私は感じます。
自分が正しいと信じた事、またはやましい事がないのなら、堂々としていればいいのです。
その方を想い、愛ある言葉なのか、悪意に満ちた言葉なのかは、一目瞭然なはずでございます。
そんな汚い人の感情で、どうか命を落とさないように、自分に信念を持つ事がとても大切な事と感じます。
インターネットというツールは、あくまで道具で、私達はそれを使いこなす事が、一番大切なのだと思います。
インターネットの世界は、現実ではないのですから…
また、出会い系の類いでとても残酷な事件などが起きております。
先程も伝えたように、インターネットでは何の職業でも、好きな人格にもなりうる事が出来る事を忘れずに、相手を冷静に観察する心眼も磨く事を忘れずに、痛ましい事件が減る事を祈っておりますm(_ _)m

そして、「良い人」の定義というものも、考えていく必要があると感じます。
「良い人」というのは、何をもって良い人というのか、、、
これは、自分にとっての良い人という場合が多いと私は、感じております。
自分にとって都合の良い人は、「良い人」ですが、ひとたび都合が悪い事が起きれば1夜で、「嫌な人」または、「悪い人」になってしまう事もあるのです。
不思議ですね…
人の価値は、誰にも決められないものなのかもしれません…
悲しい事だと感じるかもしれませんが、これを知っているのと、知らないのでは、生きやすさが違ってくるのではないかと感じます。

まずは、自分の心眼で物事を見て、そして自分で判断していく強さを持つ事が、幸せを感じて安心して生き抜くコツではないかと思います。

こんなご時世ですが、どうせなら幸せに気がつき、笑顔で楽しんで
波動を上げ生きていけたら、いいのではないのかなと思います。

1日も早く、コロナが落ちつき皆様の、お顔を見ながらお話しが出来るように、一生懸命お祈りをさせていただきますm(_ _)m

今日も、読んでいただきまして本当にありがとうございました♪

 
 
 Share on Facebook Share on Twitter Share on Reddit Share on LinkedIn
コメントは受け付けていません。  comments